From: wakamatu@kurims.kyoto-u.ac.jp (Wakamatsu Kazuhiro)
Subject: Q&A to smokers
Message-ID: <WAKAMATU.96Jun27195024@basil.kurims.kyoto-u.ac.jp>
Organization: Research Institute for Mathematical Sciences, Kyoto, Japan.
Newsgroups: fj.soc.smoking,fj.archives.documents
Date: 27 Jun 96 19:50:24
若松です。 喫煙者からよくある「嫌煙者」や「嫌煙運動」などへの疑問や 反論などへの解説集、及び想定問答集です。 この文書は転載自由、引用、複製、編集、項目の追加及び 改変自由です。その際の責任は改変者のものとします。 また「喫煙に関する本のリスト」も同様です。 分煙を導入したい職場で壁に貼るなど御自由に御活用ください。 もっともそれでどうなっても責任は持てませんが。 「反論」はわりと「売り言葉に買い言葉」なので、 参考のために書いてはいますが、実際にはいわない方が いいでしょう。 「回答」はそれよりは穏健で実用的なものを目指しています。 ----------------------------------------------------- ○まず「嫌煙運動」と「禁煙運動」の違いについて 嫌煙(権)運動は主として非喫煙者が、自分の意志と 無関係に好まない煙を浴びせられることに対する抗議から 煙を浴びせられないよう、公共の場所での喫煙の制限しなどを 求める運動で、必ずしも喫煙者の喫煙権を根底から否定するものではありません。 禁煙運動は喫煙による健康リスクの大きさを鑑み、喫煙者に 禁煙を勧め、非喫煙者が喫煙を新たに始めるのを避けるため たばこの広告を制限する事を国やメディアに求めたりする運動。 ここでは喫煙者はむしろたばこ会社による被害者と捉えら れています。 「タバコの煙が迷惑だという人は自動車には乗らないのか?」 解説:「タバコの煙は他人に迷惑をあたえるからやめてくれ」と いう主張に対し「誰だって他人に迷惑をあたえながら 暮らしている。また少しも迷惑を与えずに生活するのは不可能。 それが許されないと主張する人は道徳的に潔癖すぎるか偽善者で ある」という発想。 見解:思うに「迷惑」という言葉が弱すぎるのではないでしょうか。 あるいは「迷惑」の中味が理解されていない。 タバコの苦手な人間がタバコの副流煙によって感じる苦痛は 喫煙者の想像をかなり上回っているようです。 世の中には基本的な倫理として「自分がされて嫌なことは 他人にしてはいけない」というものがあります。 タバコの問題については喫煙者の多くが自分がタバコの煙を 苦痛にあまり感じないためこれが通じず、非喫煙者の訴えが なかなか身に滲みて感じられないという面があるようです。 逆にそのために「嫌煙者」の言動をヒステリックに 感じてしまうこともあるようです。 「嫌煙者」への提案:「迷惑」という言葉を使うのはやめませんか? 「苦痛」か「不快」にしたほうがいいと思いますが。 「嫌煙者って単なる好き嫌いを主張しているだけでは」 回答1:多くの非喫煙者にとって、喫煙者であれ誰であれ わざわざ他人の趣味に嫌われてまで干渉したくはないのです。 それでもいわねばならなかったほど苦痛なんです。 回答2:単なる好き嫌いではいけないのでしょうか? 飲食店や職場で自分の好まない嗜好品を味あわされなければ ならない理由があるのでしょうか。 「タバコの煙が有害だという人は科学的根拠を示せ」 解説:喫煙者が自分の身に悪影響が感じられないため、 「有害であることは科学的に明らかにされている」という 主張に対し、「害はないかあってもそんなに大きくない」と 思う人や主張する人がいます。 また、「統計的根拠しかない」「統計のマジック」と 思っている人もいます。これは正しくない。 回答:タバコの副流煙を浴びせられたくないという人の多くは、 それが目に滲みたり喉や肺が痛くなったり頭痛がしたりと、 直接的苦痛が非常に嫌なのです。 例えば「足を踏まれると苦痛だからやめてくれ」と主張するには 科学的根拠はいりませんよね。 (もっとも「肉体的苦痛」さえなければ何をしてもいい、 というわけでもない) 「タバコの煙より自動車の排気ガスのほうが有害なのでは?」 (注:比較の問題だという人と比較の問題ではないという人あり) 回答:あるいは意外なことかもしれませんが、肺ガンに対する タバコの寄与は排気ガスを含めた大気汚染全体の寄与よりも はるかに大きいという事実があります。 「受動喫煙」のみで比較しても、たとえば職場で数十本も 浴びるひとの場合にはおそらくタバコ煙以外の大気汚染物質より 大きな影響があると思います。 反論:排気ガスや大気汚染のほうが有害だってのに科学的根拠 あるの?イメージで議論してるだけでは? 「嫌煙権があるなら喫煙権だってあるのでは?」 解説:ここでも「嫌煙運動」と「禁煙運動」の混同が見られます。 回答:たとえば「野球をする自由」はありますが、 「路上で人に気楽にボールをぶつける自由」はないと思います。 たとえば「自動車を運転する権利」はありますが、 「人を自由に轢く権利」はないでしょう。 喫煙する場所は選ぶべきだし、喫煙にふさわしい場所がないの なら自分でつくるべきでしょう。どんな趣味でもそうですよね。 「些細な迷惑は許容して欲しい」 反論:飲食店での禁煙なんてささいな事なのでは? 「タバコの煙に目くじらを立てる人は神経質すぎるのでは?」 見解:このようなイメージを過去に社会が持つように至った形成過程に 個人的に興味があります。 反論:過去に公害運動に携わった人たちも同じようなことをいわれました。 「騒ぐのは一部だけ」とか。 回答:煙が煙い、というのはごく当たり前のことで、例えば タバコ以外に、紙・木・ポリ塩化ビニール・プラスチック ・動物の毛などのうちどれをそばで燃やされたら嫌ですか? 仮に私がそれらの匂いを好んだからといって飲食店で 燃やしても歓迎されるとは思えません。 タバコの煙だけが他人にとって煙くないはずと感じるのはなぜ? 「嫌煙権があるなら嫌臭権だってあるさ」 解説:タバコの臭いの他に、ニンニクやギョウザの臭いとか 口臭や化粧品の匂いなどをなぜ問題にしないのか、 タバコだけ目の敵にしているという主張。 回答:喫煙者は気付いていないのかもしれませんがタバコの 臭いはそれらよりしばしばはるかに強いのです。 例えばニンニクやギョウザの臭いを数メートル以上離れた ところで感じることはまずありませんがタバコならざらです。 また、タバコの臭いを感じる頻度がはるかに多いという 面もあります。 反論:タバコの副流煙の主成分であるアンモニアは、 「悪臭防止法」(これは工場などを対象としている)でも 指定物質にされています。 他にも刺激性物質を多量に含んでいて、それがあまり問題にされないのが 不思議なくらいです。 問い:アンモニアなどの不快なにおいをなんというか? 答え:「悪臭」(某就職用「常識」問題集より) 「タバコの税金は迷惑料にならないか?」 解説:喫煙者は社会に迷惑ばかりかけているようにいわれるが、 非常に高い税金を払うことで貢献もしているのでは、という主張。 反論:タバコ税収は莫大ですが、いくつかの試算によると タバコによる医療費などの社会的損失はタバコ税収を上回っています。 また、かつての公害企業が雇用確保や税収などで地域経済に 貢献していることを理由に被害者が「とやかくいうべきでない」 といった言葉を浴びせられた例も思い出します。 回答:タバコの煙を味あわされる苦痛は非常に大きいので、 それがなくなるのなら、むしろタバコ税を廃止して私の 税的負担が増えても構いません。(個人的意見) そして、「税金を払っていること」は「それを使用して他人に 苦痛を与えること」を正当化しません。 例えば「ガソリン税・自由車税」を払っているから人を轢いても 構わない、ということにはなりませんよね。 解説:タバコ一箱の税金は約120円。一本につき6円という ところです。 反論2:たった6円(÷日本人口)であの苦痛は割にあわない。 「公共の場での喫煙を制限することは喫煙者への差別に つながらないか?」 解説:嫌煙運動や嫌煙者の主張を「排除の論理」と解釈したもの。 「ファシズム」「魔女狩り」といわれることも多い。 回答:例えば、他人に気楽に水を浴びせる人物がいたとします。 それが飲食店・職場・駅のホーム・路上・遊戯場だったとします。 この人物と我々はどう「譲り合い」や「共存」をすればいいのでしょうか? どう「公共の場所から排除」せずに解決できるのでしょうか? あなたはその人物を罵ることなく平和的に処理することができますか? あるいはそうする義務があるのでしょうか? (ここで、水にはたいした有害性がないであろうことにも注意) 反論:もちろん「排除」して構いません。 排除するのは「喫煙(あるいは他者に煙を浴びせること)」で あって「喫煙者」ではないということも忘れないで。 「私は禁煙の掲示のあるところでは吸わないし、灰皿のあるところでしか吸わない」 解説:禁煙の場所で喫煙する人を責める非喫煙者が多いのは事実です。 回答:上のような人は現実の多くの喫煙者からすると非常に 立派な人物なんですが…… タバコの苦手な人間が副流煙を浴びて苦痛に感じるとき、 灰皿があるかどうかはなんの関係もないのです。 現在、飲食店やパチンコ店など灰皿が置いてある場所に非喫煙者 が行くことや行かざるを得ない場合は多いです。 提案:「嫌煙者」の皆さん。 禁煙の場所での喫煙「のみ」を非難するのはよしませんか? 確かにそれは「社会のルール」に反していますが、逆に 「禁煙の掲示がなければ吸ってもよい」という誤解を ばらまくことになってしまいます。 そもそも「なぜ禁煙にされているのか」を理解していない 喫煙者の「心の狭い非喫煙者のせいで…」というイメージを 増幅させることにもなりかねません。 「私はタバコを吸わないとイライラして仕事にならない」 解説:ニコチンの依存性は他のドラッグと比べても強いほうです。 また、非喫煙者が喫煙を制限することを「かわいそうなことを しているのかもしれない」と感じてしまうのもこの依存性の イメージゆえです。 回答:これに対する解決法の一つは、「分煙」、すなわち 仕事場に喫煙所をもうけ非喫煙者がそこに 立ち入る必要のないようにし、そこ以外での喫煙を禁じるという ものです。 反論:ところで、それって「神経質」なのでは? 「タバコは嗜好品だから国が禁煙を勧めるのはおかしい」 解説:この主張を「嫌煙運動」への反論として主張したとしたら 単なる勘違いですが。 回答:「嫌煙者」としてはとくに回答する必要はないんですが…。 例えば「塩」や「砂糖」も嗜好品ですが、それらの摂りすぎに たいする警告は国やマスコミがおこなったりしてきたので 別に変だとは思いませんが。 「嫌煙運動なんてアメリカのまねに過ぎないのでは?」 回答:そもそも紙巻きたばこはアメリカから広まったし、 ハードボイルド映画などに憧れて喫煙をはじめた人は 多いのではないでしょうか。 そして、嫌煙・禁煙運動への取り組みが盛んな国はアメリカだけ ではありません。 「アメリカでの禁煙の動きは「禁酒法」と同じ過ちを繰り返して いる」 解説:「禁煙の動き」というのが「公共の場での喫煙の制限」を 指しているなら間違い。ただ、米国の「反喫煙運動」は「嫌煙運動」と 「禁煙運動」の区別をあまり考えていないようです。 また、禁酒法は製造・輸送・販売を禁じたものの 飲酒そのものは禁止しなかったということも 日本ではあまり知られていないような気がします。 回答:本人への健康の悪影響を理由に喫煙を禁止した国は(たぶん)まだありません。 (百年以上さかのぼればある) 「マナーや譲りあいで解決すべき」 反論:嫌煙権運動がはじまってから十年以上。解決しましたか? 解説:世の中には市民運動に対し「権利ばかり主張しすぎる」と いう反発を持った人々が文化人などを含めて存在して いたようです。 「マナー」という言葉の最大の問題は「どこまでマナーなのか はっきりしていない」という点です。 たとえば「隣の人の許可を得て喫煙する」だけでは実際 不十分で、それは煙というものが際限なく広がり流れて いくものである以上当然のことです。 「好き嫌いだけで他人の行動を制限するのはおかしい」 解説:個人の好き嫌いだけで公共の政策を決定することは おかしい、と主張する人はかつてたくさんいました。 回答:タバコ以外の嗜好品、お茶、コーヒー、ジュース、お酒、 お菓子、砂糖、塩、などのうち、自分が好きだというだけの理由で 嗜好の異なる人間に本人の意志と無関係に気楽に味あわせて よいとされているものがあるでしょうか? 健康に良かろうと悪かろうと、そんなことをしていい理由なんか ないのです。 仮に相手がそれを好きだったとしてもいきなりジュースを 無理やり飲ませるのはかなり失礼なことでは? 反論:ところで、タバコは嗜好品だから国がとやかくいわず 本人の好き嫌いにまかせるべきだという説もありますね? ---- 参考にしたもの:fj.soc.smoking での多くの記事。 多くの新聞や雑誌などの記事や投書欄など。